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  • 執筆者の写真末期

極めて明瞭なる朦朧(1:1:0)30分

声劇用シナリオです。

男女サシ。およそ30分。

舞台 夜の公園

登場人物 

教師(バーの男と兼役)

老婆(バーの女と兼役)




老婆:春の夜のやみはあやなし......。春の夜のやみはあやなし......。ああ。人間ってのは、自分の痛いところばかり話すもんだね。私も痛い痛い、ああ苦しい。長い間、悪い病にかかっているようだ。

教師:やめないか、お婆さん。こんな良い月の下でなにをうるさくしているんだ。

老婆:ああ。香(か)やはかくるる......。ああ。どれだけ暗くとも香りは隠れやしない!

教師:大声を出すのはよせよ。

老婆:私に何か御用ですか? ここのベンチで、もし待ち合わせやら、何かあるのなら、どうぞどきましょう。

教師:別になにもない。ただ、周りをご覧よ。ここいらのベンチはみんな彼らの為にあると思わないか?

老婆:......彼ら。ああ。あのカップル達か。どうしてそうなるんだい。それに、あなたは一体?

教師:僕はただの中学教師さ。普段は不純異性交遊にダメだのなんだのって、言う立場だけれど、ここは、彼らのための場所のようじゃないか? 若い男と女が抱き合って、花の香りの中で佇むのさ。良い場所じゃないか。

老婆:どうだか。

教師:そこにだよ。今日たまたま遅く通りすがったら、あなたみたいにしわくちゃなお婆さんが、なにやら呻(うめ)いているんだもの。それも、特に綺麗な机付きのベンチに腰かけて。

老婆:なあに、誰も私の声なんか聞いちゃいないよ。ほうら、ベンチにいる彼らはうつむいたまま、まるで死んでいるみたいじゃないか。

教師:彼らは生きているんだよ。むしろ生の真っ只中さ。煌々と月の出る晩、公園でひっそりと愛を語っている。無言でも同じことさ。ああやって抱擁しているだけでも、天に昇る心地になれるんだよ。

老婆:ほうら死んでいるじゃないか。それともなんでしょう。一番心地よいときが最も死に直面したいときだとでもいうんでしょうか。ほらご覧、支え合わなくちゃ座っていられない。枯れ木がうまく倒れられなくて、そのまんま朽ちていくようだよ。なんの花か、存じはしないけれど、香りも強い。良い香りだけれど、とても濃い。濃いよ。まるで。まるで。......まるで、棺桶の中のようさね。

教師:変な解釈はよしてくれよ。そうやってすぐ愛と死を絡めたがるのは俗悪だ。

老婆:少なくとも、私には絡んでいるさ。

教師:よしなよ。お婆さん。確かに年は食っていると思うけどさ。

老婆:ああ、そうとも。食っている。九十九歳、白寿ってやつさ。そして愛も食ってきた。

教師:九十九? 愛を? 何年前のことやら......。お婆さん、モテたのか?

老婆:ああ、今でも。それがツラい。

教師:言うじゃないか。服にはシミ。髪にはシラミ。目は落ちくぼんで、垂れたまぶたのシワの裏に、また目がありそうだ。あと、心なしか、その随分と長いしろい髪も、黄ばんでる気がする。

老婆:髪が黄ばんでいるだって? 虫はついているかもしれないが、黄ばんではいないはずさ。ははあ、なるほど。電灯がオレンジ色だからだよ! さてはあんた、酔っているね?

教師:酔っていちゃあ悪いかい?

老婆:ああ悪いとも。女を口説くときは酔ってちゃいかん。ろくな目にあわないよ。

教師:九十九の、あなたを口説く? 馬鹿馬鹿しい。もう少し若かったら違うかもしれないけれど......。それにね、人は絶えず酔っていなくちゃダメだよ、お婆さん。あなたは少し年をとりすぎました。ほら、みればみるほどシワがすごい......。

老婆:(聞かないふりをして)ああ、しかし良い花の香りだね。梅はとっくに終わったし、さてこれは。

教師:耳も鼻も悪いのか。これは、ツツジ。ツツジの香りだ。間違いない。朝にここを通ったとき、見事だった。

老婆:ああ。いいね、いい花だ。ねえ中学教師さん。ツツジは来年もツツジでございましょうか?

教師:ええ、そうでしょう。

老婆:百年たっても?

教師:花は花でしょう、百年たっても。梅は香るだろうし、ひまわりは太陽を向くさ。みんな綺麗に違いない。

老婆:なら、美人だってそう。百年たてば老いた美人。美しいものは、美しいまま。千年たったって......。

教師:おや、向こうの二人が別れて行ってしまった。いやしかし、目立つところでこんな珍妙な組み合わせが座っているんだから無理もない。

老婆:なにをいう。奴らは悪い酔いから覚めただけさ。二人だけの世界で止まっていた時間が、ようやく引き離されて、別々にことが進み始めた。これで彼らは、いや、彼と彼女は前を向いて進めるんだよ。彼らは生き返ったんだ!

教師:人の恋の終わり目になにをおっしゃるんです。いや違う。人は常に酔っていなけりゃだめですよ、お婆さん。酒にでも、詩にでも、美徳にでも! 生きるなら酔わなくちゃ。そうじゃなかったら、生きるってことはあんまりに苦しい。

老婆:終わらない恋はないんだよ。だからこそ良いんだ。酔う、酔う......。生きるのが苦しいから死んだふりをするのさ。時間も忘れて、枯れ木にバラが、百も花開くのを、あたかも自然におもってしまう......。そんなものは、そんなものは、長い眠りのなかに見る夢の様子と、寸分たがわず一緒に決まっているよ。しかしときに、人はそこから甦ることができる。私は今まで、たくさんそういう人を見てきた。そして私に美しいと言った人はといえば......みんな死んだ。

教師:なんだって? (間)ああ。そりゃあ、九十九年も生きていれば、相手も亡くなるだろうよ。驚かさないでくれ。なあお婆さん。人の恋の終わりを眺めるのが趣味かい?

老婆:そんな俗悪な趣味はないよ。ただ私はここで、人が生き返る瞬間を見ているだけ。

教師:この公園で?

老婆:ええ、カラスが帰って、月が来て。

教師:そしたら人がやってくる。

老婆:それから、電灯で伸び縮みする影を見て、寒くなるまで過ごしているだけ。遊ぶお金なんてないからね。

教師:ねえ、お婆さん、あなたは一体何者なんです?

老婆:......小町。

教師:なんだって?

老婆:むかしむかしに、小町とよばれた女だよ。

教師:(笑って)冗談はよしてよお婆さん。

老婆:なに、昔のことだから。けれどね。

教師:けれど? なんだい?

老婆:言っただろう。今も私はべっぴんなんだよ。

教師:(笑って)わかるよ。わかる。とてもわかる。あれでしょう、おばあさん。修学旅行先なんかで稀に会う、あの爺さんがたと一緒だ。一度戦争にいった男は一生戦争の話をするんだ。「おいちゃんは昔、特攻隊にはいっとってな」ってひとりでに語り出すのさ。確かに彼らはその中で生きたろう。そしてほんとに特攻隊だった。そしてお婆さん、あなただって、べっぴんだった。

老婆:(笑って)そう思えるときに会えて幸運だよ。私を醜女(しこめ)だと思っているんだね。とても良いことだよ。私に美しいと言った男はみんな死んでしまう。そして恋に酔いすぎたものは死んだも同然になる。

教師:なら聞かせておくれよ。美しいと言った人の行く末を!
老婆:いいだろう。いいだろう......。今から、八十年も昔。私は二十歳。偉い偉いお医者様が居て、名前は深草。だから深草先生。先生は私に惚れたんだ。だから私は「百夜通ったなら、あなたの意のままに」と返事をした。

教師:ほう、百日。なら、その百日目を僕が再現してやろうじゃないか? 僕だって先生さ。

老婆:あんたなんか、深草先生の足元にも及ばない。けどいいでしょう。なら、あなたは先生。私はあの頃、その日その日で幾つかの違うバーで飲んでいた。

教師:そっちだってシワだらけなのに。まあいい。続けよう。

老婆:先生はドアをチラリと開けて、目線を私に向けてやってきて、ここへ座るの。ほら、もうすぐ俗悪な噂好きの連中が来るわ。耳を澄ましてごらんなさい。忘れないで。あなたは深草先生よ。

老婆:(バーの女1)まア、例の先生よ。あんなに立派だったのに、ずっと何かに熱中すると人は、ああなってしまうのね。けれど昨日より顔色はいいみたい。

教師:(バーの男)そうだね。といっても、医者の不養生というかなんというか。ひどい面で歩いている。けど彼女の隣に座ったら、途端、顔が引き締まる。

老婆:(バーの女1)不養生......ね。完全に病気だわ。

教師:(バーの男)病気って?

老婆:(バーの女1)恋患いよ。こればっかりは大先生も治せやしない。あそこへ座って一瞬元気が戻るように見えるのは、迎えのまさに迫った病人が、さいごに一度きり、ほんの少しの間だけ、良好に見えるようなものよ。そしてそんな人は思い出を話して、じきにいってしまう。

教師:(バーの男)よく言うよ。しかし恋患いってのは酷い病だね。途端に病人を酔いどれにしてしまうんだ。

老婆:(バーの女1)さあ。どうかしら。見とれて、惚れて、酔いどれて、そうして病人になるんじゃないかしら?

教師:(バーの男)かもしれないね。ところで先生はああだけど、身なりや風格はやっぱりいい。若いのに威厳がある。そして小町は言わずもがな素晴らしい。ほら、あのカバンだって。

老婆:(バーの女2)まア! 小町のカバンも私のも一緒よ? ほら、ご覧なさい。真珠のように白くて小さくて......。

教師:(バーの男)ならやっぱり小町の器量が良いからだ。僕も先生ほどだったら、彼女にチャレンジしたんだけどな。

老婆:(バーの女1)意気地がないものね。

教師:(バーの男)野望はあるさ! けど、それを支える職や名声があとちょっと届かないんだよ。見ろよ。あの大先生ですらあのザマなんだよ!

老婆:(バーの女1)けど今日で百日目よ? 遂に彼は成し遂げようとしているの。

教師:ねぇ、小町。

老婆:なんですの? 先生。

教師:あんまりに僕たちは静かじゃありませんか? もう五分は経つ。

老婆:そう思うなら、もう少し気を聞かせて何か話してくださる? そう、例えば今晩の天気なんかどうでしょう。段々と雲が多くなって、朝には、降るらしいですわよ。

教師:天気の話だなんて。僕は分かりませんよ。もう何日も予報を聞いていませんから。

老婆:あら、そうでしたか。では、何を聞いていらして? 何を見ていらして?

教師:ここ百日は、あなたの声ですよ。小さな噴水のようにしたたかな......。そして、あなたの目ですよ。......あなたの。(驚いたように)あぁ! 小町! あなたは!

老婆:どうかなさいましたか?

教師:今や、あなたの眼には、鈴の音のような張りがある......。

老婆:ありがとう。

教師:不思議だ。あなたは。

老婆:なアに?

教師:不思議なんです。このバーの、オレンジの照明は、夜更けの高速みたいで。

老婆:眠たくなるといいたいの?

教師:違います! あなたは......、オレンジのナトリウムランプの中で、若返った! 時間のトンネルを高速で駆け抜けたんだ!

老婆:まア!! もしかして!

教師:あなたって、あなたって人は。なんて......。

老婆:先生? 顔が赤いわよ! 飲み過ぎたんじゃなくて? 酔っちゃいやですよ、それ以上。言ってはなりませんよ、それ以上。

教師:それも明かりのせいでしょう。ほら小町! あなたの顔だって......。とても......。

老婆:言ってはなりません! ほら、すっぱい匂いがするでしょう。喋る度に乾いた唾液が漂うでしょう? 何を口をあんぐりしているんです!

教師:ああ。あなたは。

老婆:ほら、この乳を見なさい。裏には垢がたまっている。ほら、ここにも。こっちにも。ほら!

教師:ああ。胸だ。ああ!

老婆:本当に、本当に、先生は酔ってしまったんですね。ああいけない。

教師:どうしていけないんです。この酔いこそ、生きてる証明なんですよ。ほら、あなたからは化粧の粉の優しい香りがする。もっと近づいてほしい。

老婆:生きた証明は死んでから、見つけられるものですよ。......恐ろしい。

教師:どうして。この酔いこそ、実感なんですよ。僕は美しいものを美しいと言いますよ。

老婆:実感......。恐ろしい言葉。今に死の実感に変わる......!

教師:......小町! あなたは美しい。それにほら、僕の顔をしっかりと見てください。あなたの顔も赤い。紅を刷(は)いたように見える。

老婆:私の顔が? それはあなたからそう見えるだけよね? 先生。私はちっとも熱くないわ! 騙さないでちょうだい。もしかしたら、このバーの熱気のせいよ。

教師:ああ小町! 美しい小町よ! ところで、今宵で私がここへ通って百夜(ひゃくよ)が経つのですね。

老婆:ええ。

教師:昨夜まで死人のようになっていましたが、今、いよいよ私の望みは叶えられるのですね。手にいれてしまうというのも、どこか寂しい。

老婆:なら! よせばいいのではなくて?

教師:そういうわけにはいきませんよ! 遂にこのときが来たんですから。百夜めの、この夜が!

老婆:先生......。

教師:心が高まって、なにもかもが満ちる。月が落っこちて、太陽が落っこちて、地面が輝いて、身体にそれら全てが駆け巡って! 最高の瞬間だ! けれど、不思議なんです。

老婆:なにがです?

教師:今夜ほど満ちた気持ちになることは、未来永劫、もうないんだとも思う。この満ちた気持ちが徐々に下っていくのを、死まで耐えなければならない。そうに違いない。

老婆:男の人はみんなそうかもしれません。得よう得ようとするあまり、得たときが何よりも素晴らしくって、そのあとは......。

教師:けれど、あなたを手にいれますよ。今夜、とても美しいあなたを。できることなら、この最高点で人生を終えられたなら!

老婆:それが良いって本当に思う?

教師:ああ。もちろん。だって、その先にそれ以上がないんだもの。ああ。ぞくぞくする。生の実感を感じているんだ。

老婆:まア! 先生! あかりが消えたわ!

教師:そうだね。周りに居た連中もみんな解散したらしい。心配しないで。月がまだ少し出ている。

老婆:ええ。けれどもうすぐ陰るようですわ。

教師:あなたの顔はやっぱり熱い。

老婆:そんなことないですわ。

教師:いいや、あります。ありますとも。もしや、あなたも私のことが?

老婆:だとしたら......。だとしたら、なんですの?

教師:だとしたら......。私の、この一瞬に得られる喜びが、より高みへと登り詰めましょうよ。このベンチから月まで透明のはしごが伸びていくように......。

老婆:だとしたら......。私も。ああ、私もあなたも酔っているんだわ、恐ろしいことに。私にもそのはしごが見えるんですもの。

教師:恐れないでください。しかしそうです、酔っている。生きるためには酔わなくちゃなりません。ああ、目が慣れてきましたね。遠くのほうの、白いあかりが葉っぱの陰をすかして、私たちを照らしている。

老婆:あれだけ酔ってはいけないと申しましたのに......。ええ、先生。私たちの顔は蒼白く......。

教師:ご覧。ツツジの花が満開だ。僕ら二人のまわりに隙間なく咲いている。美しい、まるで......。

老婆:ねぇ、言わないで。

教師:ああ、そうだね。月は雲で完全に隠れてしまった。本当に朝には雨が降るんだろう。

老婆:けど、明日なんてもう私たちには関係ないわ。

教師:どうして?

老婆:分かるでしょう......幸せだからよ。

教師:そのとおりだ。今の僕らは一等、一番、しあわせだ。

老婆:ねぇ。

教師:なに。

老婆:まるで蓋をされたようになったわ。射していた強い光がみんな消え失せて。

教師:そうだね、そして手足も冷たくなってきた。ああ。花の良い香りがする。

老婆:強い香りに包まれて。

教師:まるで。そうだね。

老婆:ええ、まるで。
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